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发信人: gutentag ( Bonjour && deeply in LOVE on the web ), 信区: foreign_lg
标 题: 《天声人語》 08月02日
发信站: 听涛站 (2001年08月07日19:34:40 星期二), 站内信件
【Bonjour && deeply in LOVE on the web】
发信人: hone (骤雨), 信区: Japanese
标 题: ■《天声人語》 08月02日
发信站: 饮水思源站 (Sun Aug 5 19:55:40 2001), 转信
■《天声人語》 08月02日
もちろん偶然だろう。7月28日夕刻近くに亡くなったのは、江戸川乱歩であった
。山田風太郎さんもそうである。山田さんが最も尊敬する作家と言っていた乱歩の死
は65年のことだった。「痛恨きわまりなし」と日記に記した。
山田さんは、今年1月のインタビューでは「生きるとしても、あと半年か、そんな
もんだね」と語っていて、これもほぼ的中した(『ぜんぶ余禄(よろく)』角川春樹
事務所)。まことに死の専門家だったというべきであろう。
青春がまったく戦争と重なる戦中派である。常に死は親しかった。戦後、こんなふ
うに書きとめてもいる。小中学校時代の友人全部を一つの雲のように漠然と思い出し
、みんな死んでしまった、というのが実感だ、と。
戦時中、書き続けた日記にも、死についての言及は多い。肺浸潤と診断された44
年のことだ。「不幸は自分だけではない。すべての人が不幸である。……この人生に
それほどの未練があろうか」「これは強がりではない。死などちっとも恐ろしくはな
い。……死の門が見えた。いそげ」(『戦中派虫けら日記』未知谷)。
虚実入りまじる風太郎作品の裏には、戦中派にしみついた死生観があるというのは
多くの人が指摘するところだ。戦後の人生は「ぜんぶ余禄だ」というせりふがごく自
然で、無理なく響く人だった。その「脱力」が自在な想像力の源でもあったろう。
「私としては滑稽(こっけい)な死にかたが望ましいのだが、そうは問屋がおろし
そうもない」(『あと千回の晩飯』朝日新聞社)。でも命日が乱歩と同じとは。
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春が来た、春が来た、どこに来た。
山に来た、郷に来た、野にも来た。
※ 来源:·听涛站 tingtao.dhs.org·[FROM: 匿名天使的家]
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