foreign_lg 版 (精华区)
发信人: gutentag ( Bonjour && deeply in LOVE on the web ), 信区: foreign_lg
标 题: 《天声人語》 08月05日
发信站: 听涛站 (2001年08月07日19:37:38 星期二), 站内信件
【Bonjour && deeply in LOVE on the web】
发信人: hone (骤雨), 信区: Japanese
标 题: ■《天声人語》 08月05日
发信站: 饮水思源站 (Mon Aug 6 09:16:51 2001), 转信
■《天声人語》 08月05日
広島に行くたびに平和記念資料館を訪れ、一巡する。原爆を投下した爆撃機エノラ
?ゲイのフィルムに始まって、被爆の惨状を伝える数々の資料を見ながら、最後は見学
者が書き記した感想ノートにざっと目を通す。
この夏は、館内を巡りながら、もうひとつの博物館の記憶が重なりあった。昨年、
米ワシントンで見学したホロコースト博物館だ。ナチスによるユダヤ人虐殺を記録す
る93年開館の博物館である。
最初に訪れたときは、2、3時間待たされるというので、あきらめたほどだ。開館
のころの混雑はたいへんだったらしいが、まだまだ館外に列をつくって待たなければ
ならない。
スピルバーグの映画を見ているような、たたみかけてくる強い印象を受けた。不謹
慎なたとえかもしれないが、テーマパークを巡るような気分である。もちろんテーマ
は娯楽からは遠い「悲惨」である。フィルム、写真、模型、証言など豊富な資料を使
って、ナチスの悪行を追う。
博物館の付属研究所長のM?ベレンバウム氏が5年前に訪日したときの講演では「あ
の博物館は人間のなかの絶対悪に焦点をあてていること、悪に対しては中立的な態度
はありえないこと」を強調したそうだ。そう、あいまいさのない悪とその犠牲者の展
示である。
優劣の比較ではないが、広島の資料館には、そうした強烈さはない。「20世紀の
悲劇」の伝え方の違いを考えさせられる。広島の資料館の方の入館者は減少を続け、
昨年度は過去20年間で最少だったという。しかし核の恐怖は決して減少してはいな
い。
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春が来た、春が来た、どこに来た。
山に来た、郷に来た、野にも来た。
※ 来源:·听涛站 tingtao.dhs.org·[FROM: 匿名天使的家]
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